| 昭和16年 1月 |
山口県合同缶詰(株)を設立 |
| 昭和22年 6月 |
山口県缶詰(株)に社名を変更 |
| 昭和25年10月 |
日新缶詰(株)に社名を変更 |
| 昭和27年 4月 |
下関飼料工場を建設 |
| 昭和30年 1月 |
林兼産業(株)を合併し新社名を林兼産業(株)に変更 |
| 昭和34年 8月 |
下関工場を建設 |
| 昭和36年 8月 |
大阪工場を建設 |
| 昭和37年 5月 |
下関飼料工場を増設 |
| 昭和37年 5月 |
株式を東京、大阪、福岡の3証券取引所に上場 |
| 昭和39年12月 |
本社社屋および研究棟を建設 |
| 昭和43年 5月 |
下関第二工場を建設 |
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現在の下関第二工場は建設当初、第二食品工場、第三食品工場とよばれ、畜肉加工品を製造する目的で建設されました。左記写真の真中から左が第二食品工場、右が第三食品工場です。 |
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| 昭和44年 4月 |
林兼畜産(株)を設立、養鶏・養豚事業を同社へ移管 |
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昭和36年の養鶏試験場開設以来八年、成長拡大してきた畜産部が林兼畜産鰍ニして独立しました。当時ブロイラーの国内生産羽数は年に平均20%程度の急激な伸びを示しており、年産3億羽に達するだろうといわれていました。 |
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| 昭和45年 6月 |
都城市に食肉原料処理工場を増設 |
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当時、キリシマハムは都城工場にて生産しておりましたが、前述第三食品工場が完成されるとキリシマハム生産は第三食品工場へ移管され、都城工場はキリシマハムの原料処理工場として生まれ変わりました。 |
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| 昭和49年11月 |
林兼缶詰(株)を設立 |
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当時、経済成長率低下による消費の鈍化、食品添加剤の規制等種々な難題が山積し、体質改善を迫られました。缶詰部門においても身軽い体質に改め、保存食品加工技術を高度に発揮させ更なる発展を図ることが良策と判断され、柳川工場、唐津工場を分離・独立させました。 |
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| 昭和51年 2月 |
林兼冷蔵(株)を設立 |
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当時、食糧資源不足と食生活の変化により冷凍食品、チルド食品の需要が高まり、冷凍、冷蔵、低温流通配送まで機能にもった冷凍冷蔵庫を建設致しました。地域に密着した物流奉仕に努めることを目的に設立されました。 |
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| 昭和53年10月 |
林兼コンピューター(株)を設立 |
| 昭和61年11月 |
林兼ポートリー(株)、林兼ファーム(株)を設立し、
林兼畜産(株)の事業を両社へ移管 |
| 昭和63年 9月 |
林兼冷蔵(株)第二冷凍工場を建設 |
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工場三階にクリーンルームが設置されました。当時の見学者通路の窓ガラスごしに見るクリーンルームは別世界のように見えたそうです。 |
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| 平成 2年 4月 |
林兼ポートリー(株)が林兼ファーム(株)を吸収合併
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食鳥検査制度の導入や牛肉輸入自由化等で畜肉業界、ブロイラー業界での国際競争は激化する一方でした。こうした厳しい状況のため、競争力と経営基盤の強化を目的としてそれぞれが保有する技術を合体させた事業運営を行いました。 |
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| 平成 2年 7月 |
林兼缶詰(株)が新工場を建設し社名を
(株)林兼デリカに変更 |
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林兼缶詰(株)はこの十六年間、缶詰主体の生産からハム・ソーセージ、冷凍食品や総菜の生産へと業容拡大してきました。多様化する消費者のニーズに迅速に対応できる総合食品メーカーへ飛躍する一歩として社名を蒲ム兼デリカに変更いたしました。 |
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| 平成 3年 7月 |
(有)平安海産を設立 |
| 平成 5年 3月 |
長府工場(養魚用飼料)を建設 |
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当時、需要増が見込まれていた養魚用飼料。グループ大洋飼料鰍含めるとシェアNO.1を誇り、下関工場の生産能力も限界を迎えていました。コンピューターによる集中管理システム、二軸エクストルーダーにより製品の物性を自由自在にコントロールでき、ロボット化による省力化を実現した養魚用飼料専用工場です。 |
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| 平成 5年 4月 |
大阪第二工場を建設 |
| 平成 8年12月 |
林兼フーズ(株)を設立 |
| 平成12年 1月 |
林兼ポートリー(株)が社名をキリシマドリームファーム(株)に変更 |
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キリシマドリームファーム鰍ヘ、国内最大の黒豚農場です。黒豚の中でも特に高品質を誇るイギリス系バークシャー種を、独自技術と林兼産業の専用飼料で一貫生産しています。 |
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| 平成18年 9月 |
都城ウエルネスミート鰍設立 |
| 平成21年 3月 |
(有)桜林養鰻を子会社化 |
| 平成22年 7月 |
大阪証券取引所および福岡証券取引所の上場を廃止 |
| 平成22年10月 |
蒲ム兼デリカの全株式を譲渡 |